色楽雪音 〜ゆきねの日記〜

広島で在宅Web仕事しながら日々の徒然を書いていたけど、2013年夏にアラフォーで初出産、以降育児日記中心に。2017年春に旦那の転勤で福岡に移住し、相変わらずパートでゆるゆるワーママ的生活をしている。

Hiroshima 0806

少し遅くなったけど今年初めて広島で迎えた8月6日のことを書いておこうと思う。

平日だったので朝ダンナを送り出したあと、急いで支度して朝8時頃に平和公園に着いた。記念式典が始まる時間。自転車で行って近くの駐輪場に止めて向かうと、原爆ドーム前の電停から向こう側がものすごい人になっていた。驚いたのは、デモのように声を上げる活動家の集団が多いこと。


その分機動隊の人数もすごくて物々しい雰囲気。

式典が始まって黙祷して、あとは首相や広島市長を始めとした演説が続く。学生のスピーチがある。毎年テレビで見てきた光景と同じ。ただ、朝9時前なのにとにかく暑くて日なたに立っていられない。木陰で音だけ聞いてた。
献花はあまりにも行列が激しかったので、別の空いてるときにしようと思い、プログラムについてた金の折り紙で折り鶴を折って納めてこようと思ったら、鶴の折り方をすっかり忘れている自分に愕然。思えば20年以上は折ってないもんね。恥を忍んで係の人にききながら折って納めてきた。

会場には国籍も豊かな大勢の人がいたけどスタッフの数も多かった。無料で冷水を配ってたり救護室が完備されてたり(毎年熱中症が何人も出るんだと思う)。メディアも多かった。

その日は夜7時から9時まで、原爆ドーム周辺で灯籠流しが行われた。灯籠用の紙は朝から公園内で売ってたので先に買って(600円)、帰宅してからゆっくりマジックでメッセージを書いて、夕方それを持って平和公園に行った。

ドームのまわりには子供達の平和への願いが書かれた無数のキャンドルが灯っていて、きれいだったけど原宿の竹下通り並に人がいた。灯籠流しの場所まで辿り着くまでに少し時間がかかったけど、行列に並んでからは早くて、10分くらいでできた。護岸の入り口と出口を整備してたのでそれほど混雑もなく、写真を撮る余裕もあった。
川に灯籠を流すのは、原爆が落ちたあと、熱さに耐えきれず川に飛び込んで亡くなった人が多かったことから、そこで慰霊をするのだと広島の友人にきいた。67年前のこの日にこの地で起きたことに目を向け、事実を認識して自分の中で消化し、日本人として、一広島人としてどうしていくべきかを考える。そのための行動なんだと思う。

護岸の近くでは地元の高校生とおぼしき子達が日本語と英語で、67年前と今の広島を語るプレゼンをしてた。

私は歴史が乏しい地域で育ったから経験ないけど、学生時代から海外の人に自分の国や地域のことを正しく信念をもって語れることは大事だと思う。

灯籠流しのあと友人がライブをやったお店に行くまで1人で過ごした一日だったけど、Facebookで広島地元の人と会話していろいろ考えさせられたりした。少なくとも、広島市内中心部はこの日にほとんどが破壊され、今の街はそこから再生したものであること、紛争や戦争が絶えない世界に向けて、口先だけでない平和のメッセージを発信する場所であることを感じた。