色楽雪音 〜ゆきねの日記〜

広島で在宅Web仕事しながら日々の徒然を書いていたけど、2013年夏にアラフォーで初出産、以降育児日記中心に。2014年秋からパートでWeb屋の仕事に復帰。

ゆきね、一瞬ニンプになる

また1ヶ月空いちゃった。

風化する前に、4月にあった超個人的出来事を記録しておこうと思う。

4月の始め、桜の花が咲き始めた時期、初めての妊娠が発覚した。
その前に、慣れない広島でどう産婦人科を探していいか悩んで、同い年でそっち方面に詳しい(現役の看護師で産婦人科の経験もある)友達に相談したら、高齢出産になるし色々リスクあるかもしれないから総合病院がいいんじゃない?という意見をもらったので、家から通いやすい場所でやたら大きい広島市民病院に行った。周産期母子医療センターがある点も安心だと思った。
市民病院は高リスクの患者を優先して受け入れる都合上、ここで出産するには3つの条件をクリアする必要があった。検査薬で陽性反応を確認してること、里帰り出産はしないこと、他の病院で帝王切開の経験がないこと。全部クリアしてたのでこの病院で検診を受け続けることになった。

最初に超音波写真を見たときは、白っぽいモヤの中に黒いそら豆みたいなのが見えるだけで、なんだかわからないけどそれが胎芽だと言われた。妊娠6週目。まだこの先無事成長するかわからないということなので、ダンナと実家の母にだけ報告した。
産婦人科の先生は見た目30前後くらいの女医さん。お酒とタバコ以外に生活の中で気をつけることはありますか?と訊いたら「特にないですよ」と。「えっと、でも普段ヨガをやったり自転車に乗ったりしてるのですが」「極端に激しい運動などでなければ大丈夫です。普段通りにしてて問題ないですよ」
初めての妊娠でわからないことだらけだったし周りに聞ける人もいなかったから色々話したかったけど、相談できる雰囲気の人ではなかった。何より若いし、本人は経験ないんじゃないかって気がした。個人病院だったらもっと親身になってもらえたのかもしれない。

翌週検査すると、黒っぽいそら豆が少し大きな丸になってて、心音も確認できた。すごい速さで動いてた。ちょっと感動。心音が確認できれば早期流産の可能性はだいぶ低くなりますよ、と言われて嬉しくなった。ダンナの親やごく親しい人に報告。そして妊婦生活についてネットや本や雑誌で研究して、カフェインレスの珈琲を探したり葉酸をとれる食材を探したり。でも自転車は気をつけながら乗ってて、ヨガもゆるめのクラスに絞って続けてた。

その次の週、そろそろ母子手帳をもらいに行けるかなーと思って検査したら、心音なかった。成長もしてなかった。何度か探った挙げ句、「もう生きてないですね」と言われた。一瞬何が何だかわからなかった。先生の説明によると、親側には全く責任はなくて、自然にこういうことがあるのだと。もともと生きる力がなかった卵だと。このままにしておいても自然に出るし、手術で掻き出して子宮をきれいにすることもできるけど、この病院ではその手術はやってない、というか2泊3日の入院コースになってしまって高くつくのでおすすめしないから、他の病院を探すといいですと言われた。

ショックでその晩は泣いた。気持ちを切り替えてそのあとどうするかを考えた。掻き出す手術はすごく抵抗あったので自然に出るといいなと思ってそれを待つことにしてみたけど、一週間経っても一向に出る気配がない。このままいたらどうなるのかなとネットで調べたら、よくないことがたくさん書いてあったので、手術することにした。市民病院以外の病院をネットのクチコミで探して、予約しようとしたら今の病院の紹介状がいるとのこと。仕方なくいったん市民病院に行った。曜日ごとに産婦人科の先生が違うらしく、その日はいつもと違う30代くらいの茶髪でメイクが濃いめの女医さんだった。紹介状だけもらいに来ましたとも言いにくく、できればこの病院でそのまま手術がいいなーと思いながら話してたら、「連休前の手術がいいですか? そうするとあともう何日もないから空きがあるかわからないけど見てみましょうか」と機械的に言われた。そして「この病院で手術したいですか?」と言われたので「はい」と答えたら、女医さんはスケジュールをチェックして、内線がかからなかったのか、携帯電話でブッキングをし始めた。「連休前にどうしても手術したいって人がきちゃったのよー。うんわかってる。だから金曜日しかないけどなんとかその日の夕方入れられない? えーなんとかしてー…」 途中で看護婦さんが私に気を遣って廊下でお待ちくださいね、と言って部屋の外に出されたけど、そのあとも延々と電話の声が聞こえてて、交渉の挙げ句金曜17:00以降(定時後?)に押し込むことができたみたいだった。

再び部屋に呼ばれて、手術の日程と入院の日程が決まった旨説明受けて、カレンダーみたいなものを見せてくれながら「今週はこれだけ手術が詰まってるんだけどなんとか入れることができましたよ」と、無理をしたことアピールみたいにされた。そういうことだったのか。こういう大病院は手術すべき患者をたくさん抱えてるから、こんな小さな手術はなるべく受けたくないんだね。
入院前検査のときにもともと診察してくれてた若い女医さんに会って「よく予約とれましたね」と言われた。他の病院の手術をすすめたかったわけだ。そして執刀するのは、無理矢理予定を押し込んだ茶髪の女医さん。なんか不安な気がしたけどここまできたら進むしかない。

手術は金曜日だけど木曜から入院、朝10時に病院で手続きしないといけない。手続きのあと病室に案内され、間もなく昼食(病院食)が出てきて、食べ終わるとやることがなくなった。その日は麻酔医の説明と執刀医の説明があると言われてたけど何時になるかはわからない。手術は家族の立ち会いが必要で、立ち上える家族はダンナしかいない(双方の親は東京と九州)ので、ダンナには会社を早退して病院に来てもらう手配をしてた。でも前日の執刀医説明も家族の立ち会いが必要と言われてて、何時になるかわからないとダンナに会社休んで来てもらわないといけなくなるから、そこは立ち会いなしでお願いすることにした。実際、話はすぐ終わった。
病室内でもネットや携帯問題なしということだったのでiPhoneTwitter見たり持ってきた本や漫画を読んだり。暇を持てあましてたけど夕食後、手術に備えて子宮口を広げる器具を入れる措置があり、それがとんでもなく痛かった。痛い痛いと大声を上げてしまい、そのあともずっと痛くて動けなかった。鎮痛剤の座薬を打っても痛みは治まらなくてベッドの上でのたうち回り、食べた夕食も全部戻して、手術は翌日の夕方なのでまだ長時間この痛みに耐え続けないといけないのかと絶望して、でも辛いからナースコールで「痛いですーなんとかなりませんかー」と言ったりしてた。病室を個室にしててよかったと思った。夜中にナースが見かねたのか、予定にない筋肉注射を打ってくれた。痛い割には効かないかもしれないですよと言われてたけど、こんな注射程度の痛みは気にならず。そして痛みは和らいでくれて、朝まで爆睡。

手術は全身麻酔。目が覚めたら終わってた。手術室から病室に運ばれ、酸素吸入と点滴を受けてる姿は重病人みたいだっただろうな。この手術にここまでするのはこの病院ならではだと思う。あとで聞いたのだけど私が寝てる間、ダンナは私の子宮から掻き出したものを執刀医から見せられて事実を目視で確認したのだそう。

他の病院だったら子宮内容摘出手術は日帰りでもっと簡単に済ませるところが多い。今回大病院らしい大げさな事態になったけど、つわりも自覚症状も何もなく終わった妊娠だったので、これくらいの苦労と面倒があって丁度いいと思う。命を失う痛み、精神的にも物理的にも味わった。しかし、これで騒いでいたのでは実際のお産の痛みに耐えられるのかどうか。

本によると、健康で何も問題なくとも15%の割合で流産は起こる。高齢になるほどその割合は増えていくはずなので、やっぱりアラフォーの出産は難しい点が若干多いのかもしれない。でもとりあえず妊娠できるということはわかったので、まだまだ頑張るつもり。
桜が散ると同時に散ってしまった小さな命は、短い間にたくさんのことを教えてくれた。ありがとう。忘れないよ。

入院手術で自己負担7万円以上かかったけど(個室の差額ベッド代含む)、医療保険の給付金がそれを大幅に上回って何万円もおつりが来るくらい支給されたので、経済的にはプラスになった。保険は独身次代から入ってた、女性の疾病に手厚い内容のもの。独身じゃなくなって月々の負担重かったけど入っててよかった。